TOKYO JOE
マフィアを売った男

解説
証言者
ケン・エトー経歴
スタッフ
予告編

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解説

シカゴの暗黒街を震え上がらせた一人の男、彼はなぜ沈黙の掟を破ったのか!?

80年代、かつてアル・カポネが名を馳せたシカゴの暗黒街。その裏社会を仕切る巨大マフィア組織を、ある日系人が壊滅に追い込んだ。男の名はケン・エトー、彼は”東京ジョー”と呼ばれ、全米のマフィアのボスたちからも怖れられる組織の大幹部だった。賭博容疑で警察の捜査を受けたことで、口封じのために組織から命を狙われた彼は、重傷を負いながらも奇跡的に一命を取りとめ、自分を裏切った組織におとしまえをつけるべく、FBIの協力者となる。やがて、彼の証言により、組織犯罪の実態だけでなく、労働組合、警察、裁判所、そして政治家との癒着までが明らかとなり、組織のボスや最高幹部をはじめ、警官、判事、裁判官、さらには州知事まで33人が逮捕、起訴されることになる。

元FBI特別捜査官がはじめて明かす、アメリカ犯罪史上空前のマフィア壊滅作戦の全貌!

”東京ジョー”逮捕に執念を燃やした元FBI特別捜査官エレイン・スミスが語る、アメリカ犯罪史上ただ一人の日系人マフィアの知られざる生涯。そして、FBIによる周到なシカゴ・マフィア壊滅作戦の全貌。これは、ギャング映画や犯罪小説よりも遥かにスリリングでドラマチックな、驚くべき真実の数々に、映画史上はじめてカメラが迫った衝撃のクライム・ドキュメンタリーである。

証言者
■エレイン・スミス Elaine Corbitt Smith
1979年、FBIシカゴ支部の特別捜査官となり、女性捜査官として2番目にマフィアを担当。FBIが30年間、しっぽを捕まえることができなかったケン・エトーのケースを担当し、1年後に有罪の証拠をつかみ、ニューヨークで起訴。83年にエトーは殺人未遂の対象となり、連邦証人保護プログラムに入るが、エトーの信頼を勝ち得ていたエレインが事情聴取を担当。シカゴ支部には22年勤務し、犯罪組織、マネーロンダリング、金融詐欺捜査を担当。2001年9月には同時多発テロの犯人19人の資金源捜査を担当。FBIの女性捜査官を代表してフリーFBI長官(当時)の諮問委員会メンバーとなる。
■スティーブン・エトー Steven Eto
1960年シカゴ生まれ。ケン・イトーのダンサーだった2番目の妻との間に生まれた。ケンにとって3人目であり、最後の子供で、可愛がられた。母がケンと離婚した後、76年に母とミネソタに移住。79年から80年にかけてシカゴに戻り、父親の「仕事」を手伝うが、自分向けではないと縁を切る。ノースウェスト航空勤務後、レストラン経営者として現在に至る。父とは97年頃、ハワイで合ったのが最後。
■ジェレミー・マーゴリス Jeremy Margolis
元連邦検事補。シカゴで11年間、連邦検事補として活躍。ケン・イトーを説得し、連邦証人保護プログラムに入れた。3年間イリノイ州検察官を努めた後、4年、同州警察長官として3500人を指揮した。連邦司法長官功労賞、シークレット・サービス名誉賞受賞。現在は企業犯罪裁判専門の在シカゴ法律弁護士事務所のパートナー。
■ジョン・ドラモンド John Drummond
元CBSシカゴ支局記者。69年にCBS記者となって以来、特にシカゴの犯罪組織報道のベテランである。エミー賞複数受賞。著書に「報道30年」などがある。また映画「逃亡者」に記者役として出演したこともある。現在も時折、CBSで犯罪組織レポートを行っている。
■ジョージ・ジョセフ George Joseph
25年間、調査コンサルタント、カジノ詐欺犯罪事件の専門家証人として活躍。10年間、ネバダ・ポリグラフ連盟理事を努めた。またラスベガスの有名カジノの警備主任。現在はワールドワイド・カジノ・コンサルティング社社長として、カジノ警備訓練、ディーラー訓練、法取締り当局のコンサルタントを努めている。


ケン・エトー経歴

1919 ケン、ストックトンのクリシュチャン農場に生まれる。
※アメリカに入植したケンの父マモル・エトーが妻と長女を呼び寄せた1年後である。

1933 厳しい父への犯行からケンは14歳で家出、その後、何年も消息不明。カリフォルニアのフルーツ農場やシアトルの缶詰工場などで働き、この頃、賭博を覚えたらしい。

1941 太平洋戦争が始まり、ケンは日系人を収容するアイダホ州ミニドカ収容所に入れられる。収容所では賭博三昧の日々。

1945 終戦前にケンは収容所を出て、アイダホの農場で働きだす。賭博で捕まり、アイダホ刑務所に入る。その後モンタナに渡り、"モンタナ・ジョー"と名乗った。

1946 最初の妻と結婚。

1953 ケン、シカゴに現れる。

1961 17歳のアイルランド系女性と結婚(3人目の妻)。結婚前に長男スティーブンが生まれる。

1963 ケネディ大統領暗殺事件直後、FBIは暗殺犯オズワルドと彼を暗殺したルビーについての情報を、マフィアが絡んでいるという考えからエトーに聴取するも、エトーは即座に"何も知らない"と答えた。

1979 FBI捜査官のエレイン・スミスの賭博操作が始まり、ケン・エトーが深く関係していると判明。ケンはこの頃、シカゴだけでなくインディアナ州北西部からオハイヨ州クリーブランドまで手を伸ばし、2人のプエルトリコ人手下をもち違法賭博を運営していた。この頃にはケンは、"TOKYO JOE"と呼ばれていた。

1982 ケン・エトー検挙(63歳)。ステージで見始めた28歳のフィリピン女性マリー・ルーと4度目の結婚。

1983 シカゴ最大のマフィアの大親分ビンセント・ソラノから食事をしたいので合いに来てくれと呼び出される。2月10日、迎えの車でイタリア・レストランへ向かう途中、車内でケン・イトーは後頭部を3発撃たれる(64歳)。奇跡的に命を取り留めたケンはその後連邦保証人保護プログラムが適用。史上最長の17年間に渡る連邦保証人保護プログラムに入ることになる…。




スタッフ
監督は小栗 謙一。プロデュースはこれまでにも数多くの大ヒット作を放ってきた奥山 和由とフジテレビの亀山 千広。この日本映画界を代表する2大プロデューサーの初タッグ。
音楽は、ハズマット・モディーンとリーダー、ウェイド・シューマンがTOKYO JOEの為に書き下ろした音楽をNew Yorkで録音。ハズマット・モディーンはブルースをベースに様々なジャンルの音楽を混血させた”アメリカ的”な魂に響く音楽で、ニューヨークを中心に活躍し、2007年はドイツやロシアなどヨーロッパで大ブレイクした人気バンド。
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エグゼクティブ・プロデューサー:亀山 千広/奥山 和由
監督:小栗 謙一
原作:エレイン・スミス
原案:古森 義久
音楽:ハズマ・モディーン & ウェイド・シューマン
撮影:アヴィ・カストリアーノ/K.P.マロン
映像技術:道川 昭如
照明:大沼 静
コンタクトマネージメント:池原 麻里子
ラインプロデューサー:花井 ひろみ
編集St.:IMAGICA
録音St.:SONY PCL
協力:アメリカ合衆国連邦捜査局 シカゴFBI
配給:トルネード・フィルム
宣伝:B.B.B.inc.
製作著作:東北新社、フジテレビジョン

予告編