2003年6月、アイルランドの首都ダブリンで知的発達障がいのある人々の競技会、第11回スペシャルオリンピックス夏季世界大会が開催された。ダブリン郊外の小さな町、ニューブリッジは日本のアスリートが数日間を過ごすホストタウンになった。その町に住む18才のエイミーは知的発達障がいを伴うダウン症だ。陸軍軍曹の父パディと、優しい母ジョージーとの間の12人の子供の9番目として生まれた。今では全く想像も出来ないが、当時アルコール依存症だったパディは、エイミーが生まれた日もまた酒を飲んでいた。エイミーを生んですぐ、医師からその子がダウン症であると知らされたジョージーは、不安から気を失った。それから18年。今、エイミーはいつも家族の中心にいる。
エイミーのすぐ下の妹、リンジーも障がいを抱えている。10か月が過ぎた頃、脳性マヒだと告げられた。5歳になるまで歩く事が出来ず、これまでに5回もの手術を受けてきた。酒を飲んでばかりの夫をあてにすることもできず、ジョージーは、たった一人でエイミーとリンジーを育てることの不安で泣くこともあったが、子ども達の支えで乗り越えて来た。2人の成長をきっかけに、パディはアルコール依存症から立ち直ったのだ。
エイミーはスペシャルオリンピックスアイルランドで活動する体操のアスリートだ。夏季世界大会に出場することを夢見ていたが、今回は選考されず出場できない。「くやしかったな。選手に選ばれると名前の入った帽子がもらえるのに、私は選ばれなかったからもらえないの」と、いっときは落ち込んだが、すぐいつも通り元気になった。エイミーはずっと養護学校に通っていたが2年前に普通学校に編入した。彼女のチャレンジ精神の表れで、両親もエイミーの意思を尊重した。教科によって学ぶ学年は変わるが、クラスメートとも仲良くやっている。夢は、セクレタリーになること。そのためにトレーニングセンターで、電話受付の勉強をしている。上手く取次げない時は少し悲しくなるが、持ち前の一所懸命さと明るさで頑張っている。
リンジーは、エイミーと反対に、最初は普通学校に通っていたが、本人の希望で養護学校に転校した。先生やクラスメートになじめず、辛い思いをしたのだ。今は、自分と同じように障がいのあるクラスメートと一緒に勉強し、将来は大学に進んで、障がい者を助ける仕事をしたいと考えている。今の自分には乗り越えられない悩みや辛さをしっかり受け止めながらも、前を向くリンジーは小さな戦士(ファイター)だ。
いよいよ町全体がスペシャルオリンピックス歓迎ムードとなり、エイミーも参加した五月祭(バンク・ホリディ)のパレードは、大会のトーチを掲げて賑やかに行われた。日本のアスリートを迎えるための講習会も開かれた。パーセル家は大家族とあって、アスリートを宿泊させる部屋がないので“ホストファミリー”にはならなかったものの、母ジョージーが買って来た日本国旗を飾り付けるなど、皆、気分が高まってきた。
エイミーと同い年でダウン症のケビンの家は、2人の女子アスリートをホストファミリーとして迎える。まだ見ぬ2人の女の子をケビンも心待ちにしていた。いよいよ53人の日本のアスリートがやってきた。町をあげての交流会では、皆でアイリッシュダンスを輪になって踊った。中央で踊る体操のアスリート、花美のダンスに皆が拍手をおくる。ケビンの家に滞在している水泳のアスリート、美希と恵理子は、日本とはまた違う食文化にふれ、その美味しさに感激する。アスリートたちの練習に熱が入ってきた頃、サッカーにしか興味がなかったリンジーの双子の弟ナイジェルも協力しはじめた。エイミーも、花美たち日本のアスリートと仲良しになっていった。
聖火リレーがこの町にもやってきて、いよいよスペシャルオリンピックスの始まりだ。パーセル家も、開会式を見に行くために家族でダブリンに向かう。これまでいつもダブリン行きの列車は、病院の往復や役所が支給するものを取りに行くなど悲しみを乗せていた。今こうしてリンジーの車椅子を囲み、皆で楽しくダブリンに行けるのは夢のようだった。
スタジアムは10万人で埋め尽くされた。ネルソン・マンデラ元南ア大統領の開会宣言で、166の国と地域から7000人のアスリートによるスペシャルオリンピックス夏季世界大会の幕が開かれた。多彩な競技で熱戦が続く。日本のアスリート達も感動を与えてくれた。初めて見る世界大会、エイミーは精一杯の声援をおくった。
9日間の祭典が幕を閉じ、ニューブリッジにいつもの日常が帰ってきた。ある日、ボーイフレンドの社会デビューを祝って、リンジーがパートナーを務めることになる。真っ白なドレスに身を包んだリンジーは、プリンセスのようだ。
障がいがあるがために社会に受け入れられない、そんな不安や怒りや失望はもう過去のことに思える。トレーニングセンターの受付、エイミーが1人、座っている。今、電話のベルが鳴り出した。