好きなことを思いっきりできることは素敵だ。
私の場合は、虫捕りだが、それは、自己啓発できる最高の瞬間なのだ。
「どんなに医学が進歩しても人間の2%から3%の人が知的障がいのある人として生まれてくるのです。
それは、神様が私たちに優しさと思いやりの心を教えてくれるために贈ってくださったのです。」
これは、私が30年以上前にある牧師さんからお聞きした話です。
このお話を聞いた時から、私の人生は、変わりました。
ハンディキャップとか障害とか非健常者とか、まあいろんな言葉はあります。
受けるニュアンスも違えば「その言い方は違うなぁ」など、そのイメージは千差万別でしょう。
もちろん生きていく上で介護や手助けの無い状態では健やかに生きていけない人もいるでしょうから「分けないで」と言い切るのも無理な話である事も確かです。
かく言う私も歌うことが出来なくなり、そういう意味では不自由となりましたゆえに、歯痒い場面もあります。
でも、これだけは言いたい。「自分の人生、胸張って、そして、楽しく生きてます!」と。
こんなこと、偉そうに言うといつも苦労かけてる家族やスタッフにお小言頂戴しそうですがね(笑)。
何が言いたいかと言いますと、この映画にはそういう「自信」や「プライド」「ワクワク」「音楽って楽しい~!」という気持ちが沢山詰まっていて、普段音楽を中心にエンターテイメントに携わっている身として、「そうだな、音楽ってこんな風に夢中で楽しいものだよな」とハッとさせられる場面がたくさんあります。
仕事としてエンターテインメントと関わるようになって、いつの間にかこの純粋な気持ちを心のどっかすみっこに追いやってしまっていたのかな・・・。
どんな誰であっても楽しく生きる事は権利だと思います。
私も今一度初心を思い出し、無我夢中で音楽を愛したいとそう思います。
皆さんも自分の無我夢中を思い出す、よいきっかけとなるはずです。お楽しみください!
長崎県雲仙市で暮らすプロの和太鼓チーム《瑞宝太鼓》のメンバーは、知的障がいがある。彼らは日本ではいち早く大型の授産施設を廃止した先進的な福祉事業団の利用者で、それぞれがグループホームや家庭を持って暮らしている。プロの和太鼓奏者である彼らの毎日は、太鼓を打つことが仕事で、日本国内のツアーだけでも、年に100を越す公演をこなし、その活動は海外にも及び、アメリカの桜祭りの舞台や国連本部などでも演奏を披露してきた。
彼らは2017年10月にフランスのナント市で開催された障がい者の芸術祭に参加した。フランスでも最大級のクラシックコンサート会場、シテ・デ・コングレ(La Cité des Congrès)で開催された彼らの演奏会は、大成功をおさめ、多くの人々の賛辞と拍手に包まれた。それは、彼らが障がいを超えて太鼓を演奏したことへの賛辞にとどまらず、観客の人々が純粋に音楽の芸術性に感動したことの表れだった。正に会場にいた皆が、この太鼓演奏によって真の意味でのインクルージョン(包み込む共生社会)を体現できたことへの喝采だったのだ。
障がいのある人が幸せに輝ける社会で暮らすことのできる社会作りは、世界中の先人がこれまで様々な試行錯誤をしてきた。そこには悲しい歴史もあった。19世紀に生まれた優生学をネガティブに捉えた人々の思想が、20世紀に入って、障がいのある人々へ偏見と差別の時代を作り出した。ナチによるT4作戦と呼ばれる障がい者への殺戮は、その象徴的な出来事だった。第二次世界大戦後にノーマライゼーションの考え方が生まれた北欧においてさえも長い隔離政策の時代があり、その本拠地となった収容型の大型施設は、つい十数年前まで世界中に存在してきた。やっとこの四半世紀、様々な人々の叡智と行動によって変革が起き、世界の情勢は変わってきた。しかし、現在でも生き生きと暮らすことを阻む施設が残っている国は多く、社会には誤魔化しがある。
今は地域の人々の温かい支援に包まれ、生き生きと暮らしていても、たった数十年ほど前には、暮らしたいと思う地域に生活することすら歓迎されず、障がいのある本人にとっても社会にとっても、困難な存在として排除されてきた。そのような日々から、懸命な努力で今の姿を作り上げてきた彼らの行動を見つめようと思う。
瑞宝太鼓と同じように、自らの道を切り開き、堂々と活動をする人々は多い。フランスのヒップホップグループ・アーティピックやベルリンの演劇集団ランバ・ツァンバの人々、さらに知的障がいのある人として生きる権利を自らの力で確立すべく、国会議員を目指すスウェーデンの女性など、そんな輝く活動を見つめ、いま、私たちの社会が進もうとしている可能性の姿を、心を込めてありのままに描いてみた。