LOCATION AND CAST | 撮影地・出演者紹介
JAPAN日本

社会福祉法人 南高愛隣会

「幸せを実感できるようなサービスの提供」を合言葉に、1977年に設立。知的障がい者を中心に、長崎県下5市(諫早市、長崎市、佐世保市、雲仙市、島原市)で約1,000名の利用者へ様々な福祉サービスを提供している社会福祉法人。
地域に広がった150棟のグループホームを中心に、どんなハンディキャップがあっても、施設や病院という特別な場所ではなく、生まれ育った地域生活への希望をかなえるため、"ふつうの場所でふつうの暮らし"が出来ることを目指している。

田島良昭
社会福祉法人南高愛隣会を創設し、長く理事長として活躍。現在は、南高愛隣会の顧問であり、また、最高検察庁参与として活躍。

瑞宝太鼓

1987年に知的障がい者の余暇サークルとして発足。2001年にプロとして4名の団員で「瑞宝太鼓」を結成。今では日本全国、時には世界を舞台に年100回以上の公演や、講習活動を行う。また全国の少年院・刑務所での演奏や学校公演、東日本大震災での支援活動を通して社会貢献活動も行なっている。

岩本友広(瑞宝太鼓団長) 髙倉照一 山下 弾 辻 浩一郎 川﨑拓也 中村慶彦 川原慧介 森田祐司 増田 樹 坂田一星 貴田匠海 新野美咲子 山下沙羅
瑞宝太鼓STAFF:福岡心治朗 吉本結羽子 岩永洋平
太鼓指導:時勝矢一路 亜鷺 幸 井上未有希(2010年から瑞宝太鼓を指導している)
岩本朋子(瑞宝太鼓団長 岩本友広夫人) 岩本裕樹(瑞宝太鼓団長 岩本友広の息子) 山下絵里子(瑞宝太鼓団員 山下 弾夫人) 清水武寿(南高愛隣会利用者) 福田道子(日本で最初のグループホームとなった土地提供者の長女)

コバケンとその仲間たちオーケストラ

2005年、スペシャルオリンピックス冬季世界大会が長野県で開催された時に「知的障がいのある世界のアスリートにクラシックコンサートをプレゼントしたい!」という指揮者 小林研一郎の呼びかけに賛同したプロ、アマのアーティスト仲間が、日本中はもとより世界各地から手弁当で白馬に集いコンサートを開催したオーケストラ。その後も、オーケストラ仲間に障がいのあるアーティストが参加し、現在でも日本の様々な地でコンサート活動を続け、これまでの演奏活動は70回を超えている。

FRANCEフランス

アーティピック Artypique

知的障がいのある人々が健常者とともにミュージシャンとして演奏活動ができる場を作ろうと組織した個人的な規模の小さな団体で、現在は10人ほどのメンバー。コンサートの仕事がない時でも障がいのあるメンバーが社会保険で所得が保証される権利を持つ資格を申請中で、著明な歌手やTVプレゼンターなどのサポーターも多く、エディット・ピアフなど名だたるアーティストがコンサートをしたオランピア劇場での出演を2012年にゲストの助力で実現させた。

マジッド・カブダニ(アーティピック主宰)
シャルル・シェスノー(障がいのあるメンバーの一人)
ファニー・ジャケ(障がいのあるメンバーの一人)

エザット ESAT(établissements et services d'aide par le travail)

フランスの障がい者労働支援サービス機関で、フランス国内で約12万人(2018年)が利用している。もともとは、ダウン症の子を持つ母親の会として始まり、1970年に政府の援助を得て始まった組織で、障がいのある人個々の個性に応じた様々な職業活動の提供、医療福祉サービ ス及び教育的支援を提供している。
現在フランスでは、20人以上の企業は従業員の6%を障がいのある人の雇用義務があり、それが出来ない企業は、3%の直接雇用と、後の3%はEzatからの派遣社員を受け入れるか、Ezatに仕事を発注するかの方法がある。ここに在籍する人には、給料が支払われる。

マリー・オリビエ・アンリ(EZATの塑像アーティスト)
フィリップ・ルフレンヌ(EZATのペイントアーティスト)

2017 ジャパン ✕ ナントプロジェク(主催:障害者の文化芸術国際交流事業実行委員会)

2017年10月にナント市で開催された。日本の文化庁、障害者の文化芸術国際交流事業実行委員会が、フランス国立現代芸術センター"リュー・ユニック"、ナント国際会議センター"シテ・デ・コングレ"と連携して、日本の障がい者の優れた文化的芸術活動の成果を、世界的な文化芸術創造都市であるフランス・ナント市から全世界に発信し、障がい者の優れた文化芸術活動の国内外への普及を目的としたプロジェクト。

ジャン・マルク・エロー
1989年にナントの市長となり、文化芸術で都市を再生しようと文化政策を強力に推進した。2012年から2014年までフランソワ・オランド大統領の下で首相を務め、また2016年から2017年まで外相を務めた。

シテ・デ・コングレ(La Cité des Congrès)

8つのホールを持つナント国際会議センターで、年に一回フランス最大級のクラシックコンサート「ラ・フォル・ジュルネ」が行われる事でも有名。この大ホールで、瑞宝太鼓の演奏が行われた。

リュー・ユニック(LIEU UNIQUE)

かつてビスケット工場であった建物を改装し、舞台芸術や、展示会、会議等、多目的に使用され、様々な催事によって1年中賑わいを見せるナント市の文化の象徴的な場所。2017 ジャパン✕ナントプロジェクトでは、日本のアール・ブリュット(Art Brut Japonais) 展として障がいのある日本人アーティストたちによる「KOMOREBI」という展覧会が開催され注目を浴びた。

パトリック・ギゲール(リュー・ユニック館長)

GERMANYドイツ

T4計画

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツは、知的、精神、身体に障がいのある人々や、戦傷者らを「安楽死」させる抹殺計画を実行していた。戦後になって「T4計画」と呼ばれるようになった安楽死計画は「治療不能で生きるに値しない」と判断された人々を「死によって障害の苦しみから解放する」という論理で行われた。背景には「ドイツ民族の遺伝子的遺産の強化につながる」という優生学をネガティブに捉えた学者、医師らの理論があった。
障がい者たちはドイツ各地の医療施設などからバスに乗せられドイツ国内6カ所(ハダマー、ベンブルク、ブランデンブルク、ピルナ、グラーフェンエック、ハルトハイム)にあった収容施設に移送された。本人確認が終わると「シャワーを浴びて着替えをしましょう」と衣服を脱がされ、部屋に入ると一酸化炭素(CO)ガスを浴びさせられた。医師による死亡確認後、一部の人は研究のために脳を摘出され、遺体はすぐに火葬され、家族には暫くして病死と告げられた。
T4の本部は、現在ベルリンフィルハーモニー管弦楽団がある場所、ベルリン市ティアガルテン通り4番地にあった。広場に埋め込まれた碑には、「1939年から1945年までに約20万人の無抵抗な人々が殺戮された」と記録されている。今回撮影したハダマーの施設では、41年8月に計画が中止されるまでの8カ月間に1万人以上が殺された。ドイツ国内にあった6カ所の施設のうち、短期間に多数の死者を出した点で、ハダマーは突出している。

ハダマー記念館 Gedenkstätte HADAMAR

フランクフルトから電車を乗り継いで約1時間半。ドイツ中西部にある人口1万2千人の町ハダマーには、現在「T4計画」当時の施設が記念館として残されている。今も精神科病院となっているが、その建物の一部が記念館として残されている。建物の正面入り口から入った右側1階に展示室が続き、地下にガス室、手術台、火葬炉跡が残る。裏庭には、障がい者を連行したバスが入った木造のガレージが保存され、多くの学生や市民に公開されている。

ジャン・エリック・シュルテ(2018年現在 ハダマー記念館館長)
ギゼラ・ヘーネ(ランバ・ツァンバ劇団の創設者の一人・元女優)

劇団ランバ・ツァンバ RambaZamba

1990年にギゼラ・ヘーネとクラウス・エルフォースによって設立された。二人には、ダウン症の息子、モーリッツがいた。モーリッツは、創設時からのメンバーで、今も主要な俳優の1人。エルフォースは1990年までドイツ劇場ベルリンの監督であり、ギセラ・ヘーネは女優で演劇学者だった。俳優はハンディキャップを持っている人と持っていない人で構成され、ベルリンの劇団としてよく知られている。

ヤコブ・ヘーネ(ギゼラの二男、現在はランバ・ツァンバ劇団監督)
モーリッツ・へーネ(ギゼラの長男でもっとも古い団員の一人)
ヨーナス・シッペル(モーリッツの友人である団員)

ギゼラ・ヘーネ(ランバ・ツァンバ劇団の創設者の一人・元女優)

SWEDENスウェーデン

グルンデン協会 Grunden

1980年代、スウェーデンには社会全般に個人が自分で決め選択する権利が強調されてくると、障がいのある人からも、自分の人生は自分で決め、「普通でない」と思うのではなく、より寛容でオープンな社会を作ることが求められるようになった。同時に、問題解決や人生設計を、親や教師、介助スタッフなどが決めるのではなく、「自分たちで決めていく」という動きが障がいのある若者たちから湧き上がってきた。
そして、2000年7月、障がいのある人達が親の会から独立し、独自財源を持つ当事者主体の組織を立ち上げ、支援スタッフを雇用しながら各種事業を展開し始めた社会福祉法人、グルンデン協会が誕生した。メンバー全員、またトップである執行理事までもが知的障がいを持つ当事者であり、組織の決定、運営実務を自らがする上で必要な法律や会計などさまざまな専門分野の支援スタッフを雇用して、メディア活動、映画製作、カフェの経営、権利擁護活動、国際ネットワーク作りなどをしている。本部はヨーテボリ市にある。

エミリー・ムテーン(グルンデン協会の中心的活動家)
インゲール・グルナールソン(エミリーの母・教師)
ヨンニィ・グルナールソン(エミリーの父)
エリース・ノールベリィ(ヴェンセルス党地方委員長)
マグヌス・ティーデマン(ハルムスタード大学保健福祉学教授)


スウェーデンの一般的なグループホーム

2004年に、障がいのある人々が暮らす収容型の大型施設は、完全になくなり、すべての人が家庭か、5人から6人が暮らすグループホームでの生活をしている。グループホームは、一棟に居住人数分の個別の住居がある。プライバシーが確保された各居住スペースには、玄関、キッチン、リビング、ベッドルーム、シャワールーム、トイレ、洗面所、テラスが付随していて、ほかに共有スペースとしてランドリー室とミーティングやディナーパーティのできる広いリビングがある。ケアスタッフは、午前、午後、夜間と3交代で複数人が24時間態勢であたる。

ヨーナス・エーリクソン(グループホームを案内してくれた青年)

スウェーデンの障がいのある人のための作業センター

民間企業など普通の職場で働けない障がいある人は、国から1ヶ月12000~16000クローナ(日本円にして約13~17万円)の社会参加手当てを受け取ります。そのほかに、1日活動すると100クローナの活動手当てが支給される就労支援研修を目的とした作業センターがある。研修の内容の中には、演劇や音楽、ダンス、映像などもあり、舞台やホームページ動画を作ったりする。

キム・ウエストマン
日本のアニメが大好きで、日本語もアニメからの独学で習得したほど、寿司を好み、生活のほとんどを日本のアニメと過ごす。特にセーラームーンの世界に精通し、自らタキシード仮面に扮した舞台や動画をプライベートで作るほどで、ホームページの編集を得意としている。