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キャスト
■ローズ・テロイ・シレス Rose Telloi Siles
1919年生まれ(当時96歳)ペリリュー島の島民。
パラオ名・テロイ、日本名・テルコ、アメリカ名・ローズ。
ペリリュー島に移住してきた日本人たちと過ごした。戦争により、パラオ本島へ避難した。
■土田 喜代一(ツチダキヨカズ)
1920年生まれ(当時95歳)元日本軍海軍上等水兵。
ペリリュー島攻防戦で米軍と死闘を繰り広げ、戦後1年8ヶ月後に34名の同志と共に生還を果たす。2015年4月9日、天皇・皇后両陛下がペリリュー島慰霊に訪れた際には、車椅子の老身を押して来島した。
■ブラズウェル・ディーン Braswell Deen
1925年生まれ(当時90歳)元米国第一海兵隊一等兵。
ペリリュー島攻防戦で日本軍と死闘を繰り広げた。指揮官は、海兵隊史上最も賞をもらったチェスティ・ブラーだった。 ブラーは、ペリリュー島は「3日で終わる」と考えていたという。
■ビル・カンバ Bill Cumbaa
1921年生まれ(当時94歳)元米国第一海兵師団第二大隊少尉。
ペリリュー島攻防戦で、第二大隊は予備隊であった為、第一弾が上陸するのを船上から見守っていた。第一弾が日本軍による直撃を受け、第二大隊が上陸できたのは2日目の事だった。
■加藤 木正二(カトウギマサジ)
ペリリュー島攻防戦で戦死。元・歩兵隊第二連隊軍曹。
戦地より、まだ見ぬ我が子と一緒に横浜港にいる様子を漫画にした手紙を家族へ送った。2015年、長女・忠子さんは会った事のない父からの手紙を手にしていた。
■坂梨 實 (サカナシミノル)
ペリリュー島攻防戦に施設技師として参加。1944年9月、切り込み攻撃を決意した大谷龍蔵大佐から、戦線離脱し、指令本部へ守備隊の最後の戦いの姿を書き記した手紙を託された。大谷大佐から託された愛用の万年筆と、息子への遺言は、1946年坂梨によって大谷大佐の家族の元へと届けられた。
■大谷 龍蔵 (オオタニリュウゾウ)
1902年1月27日、熊本県熊本市寺原町生まれ。
日本軍海軍部隊大佐。
1944年9月27日、ペリリュー島攻防戦で自決。