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制作ノート
2002年4月
前作『エイブル』シアター・イメージフォーラムにて公開。
当初は知的障がいに関心の高い層が中心だったが、口コミで一般の映画観客にも拡がり、結果的に若い方から中高年層まで幅広く多くのお客さまが来場するロングランヒットとなった。
2002年夏
ロードショーが終了し、『エイブル』の自主上映が始まる。沖縄から北海道まで約200カ所、約10万人以上が『エイブル』を鑑賞した。
ロードショー、自主上映ともに素晴らしい反響があり、小栗監督のもとに感動のメッセージが続々と届く。
特に、障がいのあるお子さんを持つ若いお母さんたちから「これまで不安ばかりだったが、エイブルのおかげで勇気をもらった」という言葉が上映会のたびに寄せられた。中には「うちの子が大きくなったら、エイブル8ぐらいで撮ってください」と監督に直訴する親御さんたちも現れた。
5年前、初めてスペシャルオリンピックス(SO)を撮影した頃には、「子どもを撮らないで、私を撮らないで」とカメラを避ける人たちばかりだったことを考えると、『エイブル』は確実に、多くの人の意識を変えたのだ。
反響の声も手伝い、2003年にアイルランドで開催されるSO夏季世界大会を舞台に、映画を製作していこうと、小栗監督とSO日本前理事長で『エイブル』製作総指揮の細川佳代子が話し始める。

『エイブル』自主上映の収益は、ほとんどが上映団体の活動費や地元のSOの活動費となる形であったため、映画製作費は、また一からの資金集めとなった。

『エイブル』は2人の少年とホストファミリーの夫妻を中心に描いた。『エイブル2』では、もっと様々な視点のある社会やコミュニティの中で知的障がいを捉えたいと考え、“大家族”を撮ろう、と小栗監督は企画する。大家族には、両親とは違う目線を持つ兄弟たちがいる。また、自営業の大家族を撮ることも考えた。自営業は、たとえば食料品店などの家庭では、父と母が働き、子ども達が手伝い、近所の人たちとも触れあう機会が多い。SO夏季世界大会で日本人アスリートのホストタウンとなる町で、自営業の大家族を見つけたい。そしてそこに暮らす障がいのある子と社会の関わり、そして日本人アスリートとの交流を描こうと、企画を固めた。
2002年秋
『ホストタウン/エイブル2』の本格的製作を開始。アイルランドに住む日本人のコーディネーターを見つける。なんと方法はインターネットで。幸いにして協力を惜しまない青年だった。秋から冬にかけて自営業の大家族探しに精を出してもらう。
一方、小栗監督はSOアイルランド本部に連絡し、映画製作の主旨を伝え、家族探しへの協力を依頼するが、夏季大会というビッグイベントを控えていることもあり、現実的に不可能で出演者探しは難航。
2003年1月
以前エイミーが通っていた養護学校の先生に辿り着く。「大家族なら、この学校にいたエイミーの家がいちばん。14人家族だ」と教えられる。
2003年2月
小栗監督、アイルランドへ。ダブリン近郊のキルデア県ニューブリッジへと赴く。
パーセル家を初めて訪れる。エイミーは監督が来ることを知っていたらしく、家の前でサッカーをして遊んでいた。家には、両親だけがいた。しかし、話をしている間に、次々と子どもたちが帰って来る。リンジーにもその時に会った。だが、その時は「エイミーを撮りにきた人だから、私は関係ないもん」といった風情。両親の温かさ、子どもたちの気取らぬ様子に小栗監督は心惹かれた。
しかし同時に、自営業の家庭というアイディアも捨てきれなかったが、パーセル家の魅力が勝り、心を決める。
家族全員に、約2ヶ月間に及ぶ撮影内容を納得してもらい、エイミー・パーセルの家族が主人公となった。この時、母親がダウン症協会キルデア支部会長を務めるケヴィンの家庭にもお邪魔し、ケヴィンもぜひ撮りたいと申し出る。一度、撮影準備のため帰国。
2003年4月
再びアイルランドへ。いよいよ撮影開始だ。スタッフは、監督・撮影の小栗と、アシスタントディレクター1人、撮影助手1人、通訳1人の少人数構成である。スタッフの寝泊まりは、ニューブリッジのB&B(ベッド&ブレックファーストの略、民宿のようなもの)。家族の日常、エイミーの学校での生活、秘書練習をするトレーニングセンターなど、順調に撮影が進む。
撮影に家族も慣れ始め、スタッフに皆が心を開いた頃、母ジョージーに、父パディが昔はアルコール依存症で、とても苦労したことを告げられる。やがて、ニューブリッジにやって来る日本のアスリートたちの取材のために、地区大会の撮影を通して交流を図るなどの必要があり、日本に一度戻ることに。その頃から、リンジーが撮影に協力しはじめ、「私のことも撮ってくれる?」と積極的になった。
2003年6月
2回目の撮影のため再び、アイルランドへ。
リンジーの学校やインタビューシーンを撮影。SO夏季世界大会に参加する日本のアスリートたちがホストタウンであるニューブリッジにやってきた。ダブリンでの開会式のスケールと、きめ細かな工夫や温かい演出にスタッフ一同感動を覚える。
2003年7月
撮影終了。日本へ帰国。130時間に及ぶ撮影テープからの、たいへんな編集作業にとりかかる。
2003年11月
ナレーション録り。当初は父親のパディにナレーションをつけてもらおうと考えていたが、小栗監督の知人で、アメリカに暮らす英語字幕製作者のリンダ・ホーグランドさんがアイリッシュ俳優のマラキ・マコートを推薦。
マラキは作品をすぐに気に入り、快く引き受けてくれた。若い頃をアイルランドで過ごしたマラキは、ナレーションをアイリッシュらしい言い回しにアレンジするなど、親身な協力を惜しまなかった。
2004年2月3日 『ホストタウン/エイブル2』完成。